2009年12月6日日曜日

輿地志

1756 - 申景濬「疆界誌」『旅菴全書』巻之七 「疆界考」十二 鬱陵島

「按 輿地志云 一説于山鬱陵本一島
而考諸圖志二島也 一則其所謂松島
而蓋二島 倶是于山國也」

1770 - 申景濬・洪啓禧 「東国文献備考・與地考」 

「輿地志云 鬱陵 于山 皆于山國地 于山則倭所謂松島也」

1808 - 「萬機要覧 軍政篇 (1937 朝鮮総督府)」

「輿地志云 鬱陵于山皆于山国地. 于山則倭所謂松島也.」

1908 - 李萬運「増補文献備考 輿地考」

「輿地志云 鬱陵于山皆于山国地. 于山則倭所謂松島也」
このように流れを追っていくと、申景濬が「東国文献備考・與地考」を編纂する際に、自分の意見をあたかも輿地志からの引用であるかの如く改竄している事が分かります。、誤記であることが明らかな文献を根拠として領土の根拠として主張することは、愚かであると言わざるを得ないのです。

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