2012年9月9日日曜日

韓国の領有意識

半月城のサイトにこんなものがあったので曝してみました。
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韓国の領有意識 hangetsu_joh
2000年3月9日
ヤフー掲示板 > 地域情報 > 大韓民国:竹島問題を考える #462

  hitatinakatarouさん
>百歩譲って、政府が竹島を朝鮮領と考えたとしても、肝心の朝鮮が領有意識
>を持っていなければお話にならないわけです。では当時、朝鮮が国土の範囲
>をどう考えていたのか見てみます。

  近代の資料として、鬱陵島を朝鮮の東端とし竹島(独島)を欠落させてい
た朝鮮側資料は、ご指摘のものを含めて次の3点くらいでしょうか。
 玄釆『大韓地誌』1899年
 張志淵『大韓新地志』1907年
 崔南善『朝鮮常識問答』1946年

  しかし、これらはいずれも民間人が出した書籍で、国家の領有意識とはな
んら関係がありません。それに、たかだか2,3の資料で竹島が欠落していた
からといって、朝鮮は竹島(独島)の領有意識をもっていなかったなどという
結論を導いたとしたら、あまりにも短絡的すぎるのではないでしょうか。
  結論をだすには、関連するすべての古文献や地図などを総合的に判断すべ
きではないでしょうか。

  地図に関していえば、于山島、すなわち竹島(独島)が記載された地図は、
堀氏によれば数百枚あるそうで、こうした実態こそ朝鮮側の竹島(独島)領有
意識を如実に示しているのではないかと思います。
  近代においても、大韓帝国学部の『大韓輿地図』(1898)、同『大韓全図』
(1899)などの官撰地図が于山島を記載しています(注1)。これは国家として
の竹島(独島)領有意識を示しているといえます。

  逆に、竹島(独島)を明確に日本領としているのは、川上氏の著書をみる
かぎり長久保赤水くらいで、他にはほとんどないようです(注2)。その赤水
すら竹島(独島)を日本領としなかったことは #410 に記したとおりです。
  これからしても、外務省のいう「竹島は日本の固有領土」という認識は疑
わしいといえます。

(注1)『独島(竹島)』インター出版(TEL075-212-6559)1997,(著者)愼鏞廈
(注2)川上健三『竹島の歴史地理学的研究』古今書院,1996(初版,1966)
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2010年2月9日火曜日

- 竹島式典に石原伸晃氏ら出席へ 自民、政権との違い強調 -

竹島(韓国名・独島)の領有権確立に向け島根県が2月22日を「竹島の日」と 条例で定めたことを記念して開く式典に、自民党の石原伸晃組織運動本部長が 出席することが8日、党島根県連などへの取材で分かった。
 式典は5回目だが、自民党執行部の党代表としての参加は、政権与党時代に はなかった。県連幹部は理由を「民主党の竹島問題への姿勢は不明確で、主張 の違いを明確にしたい」と説明するが、政治資金問題に悩む鳩山政権を揺さぶる 狙いもありそうだ。
 県によると、石原氏のほか自民党からは細田博之前幹事長や青木幹雄前参院 議員会長が出席の意向。国民新党の亀井亜紀子参院議員や新党大地の鈴木 宗男代表も参加する予定だ。民主党国会議員は過去に一度も参加しておらず、 今回も出席の連絡はないという。
 竹島は1905年の閣議決定で島根県に編入され、県は100年後の2005年3月 に「竹島の日」条例を制定。韓国側が強く反発した経緯がある。
ソース : 2010/02/08 20:48 【共同通信】
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領土を護らない政治は国民も護らない。
竹島問題は拉致問題と根っこが繋がっている。

2010年1月20日水曜日

19世紀ドイツの地図も「竹島は日本領」明記、複数現存

2010.1.20 14:14
大阪大付属図書館に所蔵されていた竹島を日本領に含んだ1870年の地図(藤谷茂樹撮影)大阪大付属図書館に所蔵されていた竹島を日本領に含んだ1870年の地図(藤谷茂樹撮影)

 竹島島根県)と朝鮮半島の間に境界線を引き、日本領とした19世紀後期のドイツ製の地図が複数現存していることが20日、島根県竹島資料室の調べで分かった。大阪大付属図書館ではこのうち最も古い1870年製の地図を所蔵。これまでにも竹島を日本領とする19世紀の西洋製地図は見つかっているが、さらに複数の地図が確認されたことで、日本の領有権確立を補強するとともに、韓国側の主張への反論材料になるという。

 竹島資料室によると、大阪大のほか、海外の大学や古書店などへの調査で印刷時期の違うドイツの「シュティーラー地図」の所蔵を確認。1870~1899年の間に作製された約10枚で、竹島が日本領とされていた。

 竹島資料室では、これまでに島根県隠岐の島町の男性が所蔵する1872年のシュティーラー地図を確認。この地図上で、西洋名で書かれた竹島朝鮮半島の間に境界線が引かれていた。

 シュティーラー地図は、日清戦争後の1896年版では、台湾と中国大陸の間に境界線を引くなど、当時の国際情勢を反映。だが、現在は韓国領の鬱陵島を日本側に含むのは、日本人が同島に渡り活動していた影響とみられ、その経緯を詳しく検証する必要があるという。

 韓国側研究者は「1920年代まで西洋地図では独島竹島の韓国名)を韓国領に属すると分類していた」と主張している。

 竹島資料室の杉原隆竹島研究顧問は「国際的に認められてこの内容で発行が続いたとみられ、さらに分析を進めたい」としている。

2009年12月31日木曜日

和田春樹の珍説

竹島の帰属は曖昧にされんだって。
www.kaisnet.or.kr/board09/download.asp?idx=290

2009年12月6日日曜日

輿地志

1756 - 申景濬「疆界誌」『旅菴全書』巻之七 「疆界考」十二 鬱陵島

「按 輿地志云 一説于山鬱陵本一島
而考諸圖志二島也 一則其所謂松島
而蓋二島 倶是于山國也」

1770 - 申景濬・洪啓禧 「東国文献備考・與地考」 

「輿地志云 鬱陵 于山 皆于山國地 于山則倭所謂松島也」

1808 - 「萬機要覧 軍政篇 (1937 朝鮮総督府)」

「輿地志云 鬱陵于山皆于山国地. 于山則倭所謂松島也.」

1908 - 李萬運「増補文献備考 輿地考」

「輿地志云 鬱陵于山皆于山国地. 于山則倭所謂松島也」
このように流れを追っていくと、申景濬が「東国文献備考・與地考」を編纂する際に、自分の意見をあたかも輿地志からの引用であるかの如く改竄している事が分かります。、誤記であることが明らかな文献を根拠として領土の根拠として主張することは、愚かであると言わざるを得ないのです。

2009年11月28日土曜日

親日反民族行為者、最終リスト704人を発表

2009年11月27日(金)17時14分配信 聯合ニュース

【ソウル27日聯合ニュース】国家機関の親日反民族行為真相糾明(究明)委員会は27日、日帝強制占領時代末の第3期(1937~1945年)に親 日行為が確認された704人のリストを公開した。今回のリストは教育、学術、芸術、メディア分野で著名な人々が多く含まれており、先ごろ民間団体の民族問 題研究所が発刊した「親日人名辞典」とあわせ波紋を呼びそうだ。記載された主な人物は、元普成専門学校校長の金性洙(キム・ソンス)、月刊 誌「朝光」編集者の方応謨(パン・ウンモ)、元延世大学総長の白楽濬(ペク・ナクジュン)、朝鮮総督府機関紙・毎日申(新)報発行者の李相協(イ・サン ヒョプ)、詩人の崔南善(チェ・ナムソン)、盧天命(ノ・チョンミョン)、毛允淑(モ・ユンスク)、徐廷柱(ソ・ジョンジュ)、朱耀翰(チュ・ヨハン)、 小説家の金基鎮(キム・ギジン)、李光洙(イ・グァンス)、鄭飛石(チョン・ピソク)、金東仁(キム・ドンイン)、元高麗大学総長の兪鎮午(ユ・ジン オ)、画家の金基昶(キム・ギチャン)、作曲家の玄済明(ヒョン・ジェミョン)ら。親日人名辞典に名を連ねた朴正熙(パク・チョンヒ)元大 統領と毎日申報主筆の張志淵(チャン・ジヨン)、張勉(チャン・ミョン)元首相らは含まれていない。糾明委はこれと関連し、親日行為を規定した特別法の条 項に沿って辞典を編集した民族問題研究所に比べ、より厳格な尺度で選定したためだと説明した。委員会は第1期(1904~1919年)、第 2期(1919~1937年)に活動した親日関係者301人と第3期のリストを合わせ、総勢1005人が記載された約2万1000ページ・25巻の最終報 告書を発刊したと明らかにした。報告書には選定の基準や主な行跡などを明示している。親日反民族行為真相糾明委員会は2005年、運営期間を4年間に限る機関として発足した。報告書の大学・公共図書館などへの配布をもって30日に活動を終える。

http://news.nifty.com/cs/world/koreadetail/yonhap-20091127-64951/1.htm

本物の馬鹿だ・・・